最近、おもうこと

50歳から始めた”さをり織” 「自分自身を織り上げる」という創始者・城みさをさんのことばに惹かれました。

定年後の第二の人生、2016年7月に「姉妹塾 SAORIKO-UKO」 を和光市で開所しました。

大好きな”さをり織”を、多くの人に伝えて一緒に楽しみたいと思っています。

もうひとつのチャレンジは、10年間続けているネパールの貧しい家庭の子ども達の就学支援、この活動をもっと広げるために、

2017年4月に「ネパール子ども基金・里親の会」のブログを立上げたことです。

里子が自分自身の将来を切り開くために、私たちのボランティア活動が少しでもお手伝いができればと考えています。

そしてこの「SAORIKO日記」を再開しました。

2017-09-29

人と人の出会いの場 「エブリィ」


ちょっと立ち寄れる学び場・みんなんち「みつ蛍」の言い出しっぺの一人である「NPO法人エブリィ」の理事長・國松恵さん。
「さをり東京」の水曜日夜クラスのクラスメートです。昨年夏、私が「さをり姉妹塾・SAORIKOーUKO」を開所した時にはクラスのみんなとお祝いに来てくださいました。
今回、みんなんち「みつ蛍」の展示会にお邪魔した折に、「芝地域情報誌」に「NPO法人エブリィ」の記事が掲載されたことを知り、タブロイド紙を送ってくださいとお願いしたところ、到着しました。
義理の母上の介護を経験してヘルパーの資格を取り、福祉・介護の活動へ。地域で「人と人が出会う場を作る」ために「NPO法人エブリィ」を立上げ15年になるそうです。
素晴らしい活動の詳細は上の記事をお読みください。


2017-09-25

みんなんち「みつ蛍」展示会







「SAORI東京」の水曜日夜クラスで、一緒に織った回数よりだんだん飲んだ回数の方が多くなりつつある仲間が始めた、ちょっと立ち寄れる大人の学び場:みんなんち「みつ蛍」で展示会がありました。毎年今頃、さをり織の作品、小物、キミ子方式の絵を中心に展示会を開催しています。
みんなんち「みつ蛍」は、港区白金で2012年にスタートしました。設立には地元の大学の先生、NPO法人や介護事業所を運営している人、福祉サービスに関わっている人など4名が言い出しっぺで始まりました。2015年には一般社団法人として再スタート。
昔はのどかな田園地帯だった白金地域は、上、中、下の3地区に区分されていて蛍が飛び交い三光と呼ばれていたそうです。「みつ蛍」の名前の由来は、三光の三をみつ、光を蛍に置き換えて命名したそうです。素敵なアイデアですね!


2017-09-19

2年目の 9.19 国会行動








一昨年9月19日に安保関連法(戦争法)は強行採決。連日反対する人々が国会を包囲し、シールズの若者たちが自分自身のことばで語るスピーチを聴いていたことを思い出します。その中で「野党は頑張れ!」「野党は共闘!」のシュプレヒコールが沸き起こりました。それから2年、毎月19日には戦争法廃止の国会行動が続けられてきました。

そして今日、「総がかり行動実行委員会」と9月8日にキックオフしたばかりの「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」の共催による大集会が開かれました。夕暮れの国会前には1万500人の参加者が集まり、舞台では「イマジン」や「上を向いて歩こう」の歌が歌われ、集会のトップは4野党国会議員の挨拶でした。

参加した日本共産党の22名の衆・参両院議員を代表して志位委員長は、憲法に則る臨時国会の召集を3カ月も引き延ばし、さらに審議もせず冒頭解散を企む、安倍政権を倒すために野党は共闘しようと訴えました。

「市民連合」発起人の学習院大学教授・佐藤学さんは、2年前の絶望の選択肢は「市民と野党の共闘」これしかなかった、これが参議院選、都議選、新潟や宮城の選挙、2年間の政治を動かしてきたと語りました。

「安保関連法に反対するママの会」のママは、市民のできる意思表示として初めて参議院選挙のポスターを家に張り出しました。同じ思いのママが握手してくれました。「モリ・カケかくし解散」に勝つためには「市民と野党の共闘」しかありません。後悔しないために、だれの子どもも殺させないために頑張りたい、みなさんも一緒に頑張りましょうと発言しました。

「安保法制違憲訴訟の会」原告は、安保法制は憲法改正決定権である国民投票の権利を奪いました。安保法制は違憲であり、私たちは戦争を絶対に許さないと訴えました。

「生協だれでも9条ネットワーク」の旗の元、馴染みの仲間が集まりました。2年間弛まず旗を持って参加している藤原さん、いつもご苦労様です。


2017-09-06

米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー

ポスター画像

友人からのお誘いがあり、澁谷のユーロスペースで上映中の「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」を観てきた。息子に話すと市川亀治郎を連想したらしく、「いいな!舞台or映画?」と聞かれ、彼の世代では沖縄の瀬長亀次郎を知らないのも無理ないかと納得した次第。でもネーネーズがカメジローの歌を歌っているのよと言うと「へェー!知らなかったな」と。
最近あまり顔を見ないけれど、誰でも「ああ!あのキャスター」と思い起こす「筑紫哲也のNEWS23」でキャスターを務めた佐古忠彦の初監督作品。音楽は坂本龍一。

昨年春の「沖縄本島 3日間 辺野古・高江訪問ツアー」で訪れた「不屈館」の館長であるカメジローの次女のちひろさんが父の面影を語っている。
映画の最初に、現在の「辺野古新基地反対の県民集会」の様子が写され、「カメジローが戦った当時の沖縄返還!基地をなくせ!で一つになった15万県民集会の心を、この集会は引き継いでいます」というナレーションが胸に迫るものがあった。

27年におよぶ米軍占領下で、弾圧を受けても意志を曲げず投獄され、自宅の隣にある刑務所の独房に入れられ、毎日自宅の屋根を眺めていたというカメジロー。見張り塔が刑務所の外側にあり、「刑務所内ではなく我が家を見張っていたのでは?」というちひろさんのことばが嘘のような真実を語っている。

カメジローの演説には何万という人たちが集まり熱狂する。集会に潜り込んでいた元警察官も登場して彼のことばに打たれたと発言する。
「この瀬長一人が叫んだならば50m先まで聞こえます。この集会に集まった人々全員が声を揃えて叫んだなら全那覇市民まで聞こえます。70万沖縄人民が声を揃えて叫んだならば太平洋の荒波を越える」

米軍によって那覇市長の座を追われ、その後国会議員となって、沖縄返還協定に対して「これは沖縄人民が血の叫びで要求した沖縄返還協定ではない!」と国会で佐藤栄作首相を追求した。




2017-09-04

クリエータ会議に間に合った!



秋物、ウール糸をメインに織り上げたクリエータ作品。
今朝4時に仕立て上がりました。昨日、母親大会に参加したのが痛かったです。


2017-09-03

和光母親大会



和光市内で活動する各団体からのリレートークの後、元中央大学教授・横湯園子さんの「平和と女性の願い」の記念講演。
音響の設備の不調か関係のない音がバックに流れるという会場で、講演者の声が聞き取りにくかったのが残念でした。

戦前の「治安維持法」による弾圧で父親を亡くし、思想犯の未亡人として苦労した母親と沼津の大空襲で焼け出された経験を語る。
「特定秘密保護法」の制定、「集団的自衛権の閣議決定」と「安保法制」、戦争への道を歩み始めた日本に自分の心の中で警鐘が鳴りだしたと。

アイスランドでは、1975年10月24日男女平等を勝ち取るために、女性人口の90%が「女性の休暇」をとり、レッドストッキングを身につけて仕事も家事もしないストライキを行い、1980年には初の女性大統領も誕生した。現在もアイスランドは男女平等に関する調査で世界のトップの地位を占めている。

横湯さんは2015年、戦争を止めるために日本でも「女の平和・国会ヒューマンチェーン」を呼びかけ、赤いベレー帽、赤いジャケット、赤いマフラーを身につけて国会を包囲したそうです。今日の胸に付けた赤い花のブローチも赤いファッションの一つ。
新婦人のレッドアクションもこの流れを汲んでいるのでしょうか。

<追記>
今日の大会資料の裏ページに1975年から始まった「和光母親大会」の歴代の講演者の一覧が掲載されています。我が高校の先輩にあたる早乙女勝元さん(第1回)、朗読サークル・ポエムでの詩の朗読を許可いただいた詩人の滝いく子さん(第4回)、三上満さんは2度(第3回と第19回)、そしてポエムの指導者・大原穣子さんは2004年(第29回)に「平和を愛して憲法をお国ことばで語る」と題して講演されていました。先生、和光に来てくださっていたのですね感激です。