外は寒い北風が吹き荒れています。
20年続けている「朗読サークル・ポエム」の古い台本を中心に写真や諸々の資料を片付けました。
ポエムの15周年記念公演「命どぅ宝 imagine 」の台本作成のため沖縄取材旅行を決行。
それに先立ちメンバーと一緒に鑑賞したドキュメンタリー映画「ひめゆり」のカタロクとともに、「ひめゆりたちの愛唱歌に出合って」という小冊子が出てきました。
これがなんと先日、私のブログにコメントを付けてくださった杉浦公昭さんの著書でした。
その中にコピーが挟まれていて、「母への遺書に書かれた 陶器製手榴弾を持たされた兵士の心情」という文章があり、以下の遺書が紹介されていました。
この遺書は巻紙に墨書されていたのですが、戦火に焼かれて、文中の敏子さんとい姪御さんの記憶を元に復元されたものだそうです。
「 お母さんへ 」 鈴木章三
お母さん、お別れです。
亜細亜百年の礎となる、先立つ不孝をお許しください。
郷土(東京)も戦火に焼かれ、僕が戦場に持参するものは、背嚢と敏子の送ってくれた慰問袋、陶器の手榴弾、乾パン一袋、胃腸薬少々です。
今や鉄不足のため飯豪がないし、陶器製の手榴弾もしばしば不発弾が含まれています。
この戦、聖戦と信じてきましたが、勝てるとは思いません。
喜八(弟)、吉一(甥)は、決して志願で戦場に送るなどなさいませんように。
特に喜八は、お母さんを守れる最後の息子です。片腕をへし折ってでも命だけは救って欲しい。
早急に東京から疎開し、時期を待って下さい。
敏子へ
叔父さん(僕)や敏子のお兄ちゃん達は、皆、出征して戦場に行く。
お母さん(敏子の祖母)を大事にしてあげて欲しい。
最後までお母さんを守れるのは、敏子だけだと思う。
お母さんをよろしくたのむ。
※ 私の父は海軍の軍人でした。
次男でしたが、三男も海兵に入り、軍人になるのを拒んだ長男は、大学半ばで志願兵としてフィリッピンの戦場に行き、帰らぬ人となりました。
鈴木章三さんの遺書にある「決して志願で戦場に送るなどなさいませんように」「片腕をへし折っても命だけは救って欲しい」という文面に涙が止まりませんでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿