最近、おもうこと

50歳から始めた”さをり織” 「自分自身を織り上げる」という創始者・城みさをさんのことばに惹かれました。

定年後の第二の人生、2016年7月に「姉妹塾 SAORIKO-UKO」 を和光市で開所しました。

大好きな”さをり織”を、多くの人に伝えて一緒に楽しみたいと思っています。

もうひとつのチャレンジは、10年間続けているネパールの貧しい家庭の子ども達の就学支援、この活動をもっと広げるために、

2017年4月に「ネパール子ども基金・里親の会」のブログを立上げたことです。

里子が自分自身の将来を切り開くために、私たちのボランティア活動が少しでもお手伝いができればと考えています。

そしてこの「SAORIKO日記」を再開しました。

2012-04-15

農民詩 「みえない恐怖のなかでぼくらは見た」

2011年7月18日付 農民連の「しんぶん農民」に掲載された詩人・前田新さんの詩を紹介します

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見えない恐怖のなかでぼくらは見た 
前田新 (会津美里町在住)

見えない恐怖に脅かされて
4か月も過ぎたいまも
ぼくらは、ふるさとの町を追われたままだ
レベル7、その事態は何も変わっていない
何万という家畜たちが餓死していった
人気のいない村に、その死臭だけが
たちのぼっている

姿を見せないものに
奪われてしまったふるさとの山河を
何ごともなかったように季節が移ってゆく
郭公が鳴くそこで、汗を流して働くのは
もう、夢のなかでしかないのか
ぼくらは、そこに立ち入ることもできない

かって、国策によって満州に追われ
敗戦によって集団自決を強いられ
幼子を棄てて逃げ帰ってきたふるさと
そして苦闘のすえに築いた暮らしを
あの日と同じように、一瞬にして
国策の破綻によって叩き壊された

しかもこれは痛みのない緩慢な死だが
あの日と同じ集団自決の強要ではないのか
七三一部隊の人体実験ではないのか
なかまよ 悲しんで泣いてはいられない
この4か月の間、見えない恐怖のなかで
ぼくらがこの眼で見たものは

それでも、儲けのために
原発は続けていくという恐怖の正体だ

よし、そうならば
ぼくらも孫子のために、腹をすえてかかる

かつての関東軍のように、情報を隠し
危ないところからは、さっさと逃げ帰って
何食わぬ顔で、安全と復興を語る奴らに
そう簡単に殺されてたまるか

なかまよ 死んでいったなかまよ

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PS

昨日、マリドラさんとあややがお見舞いに来てくれました。
3時頃登場し、夕食のお寿司と果物、恒例のあややお手製シフォンケーキの差し入れがありました。
9時半頃までおしゃべりに花を咲かせ、雨のあがった夜半に帰って行きました。
明日からマリドラさんはお義母さんと熱海旅行の後、Hさんの告別式に参列するとのことです。
京都で8人が死亡する暴走事故の翌日、大磯で早朝に酔っ払い運転によるひき逃げ事故が発生しました。その被害者が元同僚のHさんとは!黙とう。

11日にマリドラ宅でPPM(プラチナポエム)があり、PPNの間違いではありません。
しんごう先生が紹介してくれた農民詩「見えない恐怖のなかでぼくらは見た」を、みんなで朗読することになったそうです。
次回の5月30日のプラチナポエムには参加したいです!

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