「我々日本人は核に対する 『ノー』 を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。」と述べた後、村上春樹は以下のように続けています。本日の「毎日新聞」夕刊より抜粋
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我々は技術力を結集して、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発
を、国家レベルで追求すべきだったのです。
たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。
それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。
核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据え付けるべきだったのです。
それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。
日本にはそんな骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。
それは我々日本人が世界に貢献できる、大きな機会となったはずです。
しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。
<中略>
壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事となります。
しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。
我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にすまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。
それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。
晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を
進めなければなりません。
一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
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スピーチ原稿には「非現実的な夢想家として」というタイトルが付けられています。
「非現実的な夢想家」とは、スピーチの中でも述べられていますが、原発に疑問を呈する人々に貼られるレッテルの
ことです。
原子力開発を国策として推し進め、後戻りはできない既成事実がつくられた中で、原子力発電に危惧を抱く人々に
「電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられると彼は言っています。
PS
午前中に電気設備点検があり、技術者にアンペアダウンの意向を伝えると、東京電力のフリーダイヤルを紹介されました。電話をすると、混雑しているので20日以降なら変更工事の予約を受けられるとのことでした。
現在40Aですが、電気器具の必要アンペアを調べて最低限のアンペアに変更可能だそうです。
21日の午前中に依頼しました。
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