最近、おもうこと

50歳から始めた”さをり織” 「自分自身を織り上げる」という創始者・城みさをさんのことばに惹かれました。

定年後の第二の人生、2016年7月に「姉妹塾 SAORIKO-UKO」 を和光市で開所しました。

大好きな”さをり織”を、多くの人に伝えて一緒に楽しみたいと思っています。

もうひとつのチャレンジは、10年間続けているネパールの貧しい家庭の子ども達の就学支援、この活動をもっと広げるために、

2017年4月に「ネパール子ども基金・里親の会」のブログを立上げたことです。

里子が自分自身の将来を切り開くために、私たちのボランティア活動が少しでもお手伝いができればと考えています。

そしてこの「SAORIKO日記」を再開しました。

2011-06-21

五百羅漢・特別展 江戸東京博物館

第22幅 六道 地獄
浅草寺本堂





幕末の絵師 狩野一信の「五百羅漢図」100幅が、江戸東京博物館で一挙公開されています。
ウィークデーの今日の会場は、シニアの観客のみと言ってよいほど圧倒的に高齢者が多く、若者の姿を数名見かけた程度でした。

五百羅漢図は、徳川家の菩提寺である芝の増上寺に納められた後、妻の妙安尼が明治時代に建てた羅漢堂で、戦前何幅か公開されていた以外は忘れ去られた存在だったようです。
東京大空襲で羅漢堂が焼け落ちたにもかかわらず、全幅が空襲を免れて今回の公開となった次第です。
今年は浄土宗の開祖・法然上人が亡くなって800年を迎える年に当り、増上寺秘蔵の五百羅漢図が開催されました。

以前のテレビ番組で、余貴美子扮する妙安尼が、夫一信が96幅を描き残し世を去った後、弟子と共に全100幅を完成させ、羅漢堂を建立させた物語を見ていたので、是非初公開の五百羅漢図を観ておきたいと高校時代の友人と出掛けました。

五百人の羅漢さまが、それぞれに修業したり、ビーム光線を放したり、地獄に落ちた人々を救おうとしたり、氷の池を溶かしたり、激論を戦わせたり、禽獣と遊んだり、食事をしたり、鼻をかんだりする100幅の絵が、暗い会場の中からダウンライトに照らされて浮き上がってきます。
まんがチックな表現でありながら、身に付けた衣服の文様まで細かく描き、全身全霊をつぎ込んだ迫力を感じさせます。

売店でなかなか読みごたえがありそうな、別冊「太陽」の「狩野派決定版」を購入しました。
これには総勢350名の「狩野派系図」と共に、江戸時代初期の狩野派36名の絵師たちが牛と馬を寄せ描きした「牛馬図」が掲載されています。
巨匠・狩野探幽をはじめ、それぞれの絵師が自分で描いた牛馬の傍に落款を押しているのが見事です。

狩野派400年の歴史を語るにふさわしいこの絵を紹介しているのが、会場での案内ビデオの解説者でもあり、別冊「太陽」の監修者でもある明治学院大学教授・山下裕二氏です。
お花見に行った京都・南禅寺で見た探幽の「水呑みの虎」のミニチュアの屏風を買った私としては、紹介された探幽の作品の中に「水呑みの虎」がなかったのが少々残念でしたが…。


PS
昼食後、両国から浅草まで隅田川沿いに歩き、浅草寺にお参りしました。
あまりに晴れ渡った空の色に映えた本堂を見て、思わずシャッターを切ってしまいました。




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