昨日の「毎日新聞」夕刊から、カタルーニャ国際賞授賞式での村上春樹のスピーチ全文が掲載されています。
連載2回目の今日の夕刊では、『核への「ノー」を』と題する中間部分のスピーチが載っています。
昨日の「協同研」の学習会でも、子孫に残す負の遺産について、原発を受け入れてきた自分たちの責任を問うべきだという議論がありました。まさに村上春樹も同様なことを話しています。 <以下スピーチの抜粋>
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ご存知のように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。
1945年8月、広島と長崎という二つの都市に米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかし、ここではその是非を問うことはしません。
僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万人の死者だけでなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。
核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人びとの犠牲の上に学んだのです。
戦後の日本の歩みには二つの根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。
どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本と言う国の新しい指針となりました。
広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから」
素晴らしい言葉です。
我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味が込められています。
核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。
その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。
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PS
労組女性部が、「合同慰霊祭にむけて喪服を被災者に贈ろう」という取組みを始めたとこを聞きました。
早速、本日プラザへ出向いて女性部長にフォーマル・アンサンブルを手渡してきました。
その足でSAORI教室に参加し、こちらで取り組んでいる「仙台のSAORI教室へ糸を送ろう」という企画に、家にある糸を持参しました。
ついこの間、夏物寝具カバーが不足しているという情報が入り、敷き布団カバーを5セット被災地に送りました。
今、被災地で求められている何か、自分に出来ることはないかと情報をあつめています。
これからも可能な限り支援を続けていきたいと思います。
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