最近、おもうこと

50歳から始めた”さをり織” 「自分自身を織り上げる」という創始者・城みさをさんのことばに惹かれました。

定年後の第二の人生、2016年7月に「姉妹塾 SAORIKO-UKO」 を和光市で開所しました。

大好きな”さをり織”を、多くの人に伝えて一緒に楽しみたいと思っています。

もうひとつのチャレンジは、10年間続けているネパールの貧しい家庭の子ども達の就学支援、この活動をもっと広げるために、

2017年4月に「ネパール子ども基金・里親の会」のブログを立上げたことです。

里子が自分自身の将来を切り開くために、私たちのボランティア活動が少しでもお手伝いができればと考えています。

そしてこの「SAORIKO日記」を再開しました。

2011-05-26

「JUKUさんのネパール報告会と大震災を考える」開催


この日は朝からてんてこ舞いの忙しさでした。

自宅のプリンターの不具合で、報告会のレジメのカラー印刷に時間がかかり、やっと35枚をプリントアウト。

午後の別件の会議に、あわや遅刻かの綱渡り。

会議終了後、渋谷に駆けつけ、5時にトマトかきさんと合流。




①u-koとトマトさんは各々女性部の会計担当を訪ね、グループ活動費の領収書清算。
②11階からプロジェクターを借出したものの、前の会議が延長しているため急遽会場を隣の小3会議室に変更。
③5時半、会場を空に出来ないのでトマトかきさん1人でサンドイッチを取りに走る。
④仕事を終えたtantanさんが、カタログから送付されていた乾物・菓子・資料を運び込んでくれる。
⑤会場設営、お菓子と資料配布を開始したところにJUKU夫妻登場。
⑥5時にエレベーターホールで遭遇し、4階へ行くと言っていた飲料担当のKさんは現れず。
⑦マリドラさん6時近くに登場しKさんの携帯に連絡するも不通、買出しは1人では無理と嘆く。
⑧話を聞いたJUKU夫人が、飲料買出しの助っ人を引きうけてくれて急遽コンビニへ。
⑨報告者はPCとプロジェクターの事前テスト依頼をしていたので、五月雨式に現れる。
⑩「震災対策室で5時からKさんと待ってました」とちゃま2から電話が6時に入る。
⑪現れたKさんは二人を追いかけてコンビニへ走る。
⑫ちゃま2は「震災対策室じゃなかったの?報告会会場と書いてあったよ」とぼやく。
⑫マリドラさんは買出しした飲料は足りなさそう、予算もないしと悩むところへ、西桜軍団3人がお酒の差し入れ!
⑬大久保からayayaとふうりんさんが登場し、里子への手紙の最終集約。
⑭「里子の手紙は封筒に入れて、里子の名前を書いて!」封筒を持参し名前を書くayaya
⑮こくちーずのセミナー案内情報から検索して、まったくの外部の方が1名参加。対応するu-ko
⑯3月11日の大震災で流れた、SAORIのベストとマフラーを今年の卒業生にやっと手渡すu-ko

<私のつぶやき>
準備協力の要請メールに添付した資料には、「会場:4階小2会議室」と明記し、準備協力要請への返信がないので、さらに携帯へ「自宅PCへ送付した要請資料を見て協力してほしい」と再メール、ホームページには「日程も場所も変更しました」と赤字で表示したのですが…。これ以上、どうしたらよかったのか教えてほしい気持ちです。

プラザ開催がベターなのはもちろんわかっていても、プラザにはtantanしか準備を手伝ってくれる人がいないので、現役組は当日準備を心配して新宿での開催を考えていたのです。
当日の準備は卒業したメンバーでやるから、プラザで開催しましょ!と逆提案してくれるくらいの主体性がほしかったです。新生PPNには、オブザーバーもリタイアもないのですから。

企画、「こみゅけっぽ」申請や会計、広報、人数集約、支援金と手紙の集約は「ネパールの子ども達を支援する会」現役組がやっています。
今日の会に集まったメンバーの輪を、これからも大事にしたいと思う一人一人が、PPNにどう関わっていくのか、もう一度考えてほしいと思います。

そんなこんなで心底疲れました。
家に帰るとmaeさんから、すでに録音とビデオをPPNのホームページにアップしたので、写真や、報告の追加を頼むとのメール入っていましたが、ホームページを作る気力がしばらく出ませんでした。ペコリ!

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