義母は二人の娘と息子を育てたのに、末っ子の息子と長女に先立たれ、90歳で残されました。
義姉の訃報を聞いた時、真っ先に頭をよぎったのは、息子を亡くしてから「長生きなんてするもんじゃない。子どもに先立たれるなんて。」と嘆いていた老いた義母の姿でした。
火葬場でお骨の焼けるのを待つ間、義母がポツリポツリと話してくれました。
満鉄に転勤となった夫と長女を連れ満州に渡り、そこで次女を生み、終戦の1年後に年児の幼女をおんぶに抱っこし、水を入れたやかん一つを抱えて一人福岡港にたどり着いたと。
日本に上陸すると同時に義母は倒れ2カ月入院。その後は幼子二人を家に残しても働かなければならない状況で、4歳の長姉が一つ違いの次姉を子守していたそうです。
「姉妹ケンカしてもけっして長女を叱ってはダメよ。いつも妹の面倒をよくみているのだから!」と近所の人から注意されたそうです。
義母の話を傍で聞いていた次姉も、「あたしの物心ついた最初の記憶は、姉から何かを口に入れてもらっている場面だった」と回顧していました。
シベリアに抑留されていた義父が、身体を壊して帰国したのは3年後とのこと。その後も、夫を助けて働き、子育てした義母は、「働きながら子育てするのがどんなに大変か、私はよく知っているから」と、昔、共働きの私を励ましてくれていたことを思い出します。
この日、私は義姉に以前プレゼントされたポシェットを身につけ、最後のお別れをしました。
やすらかにお眠りください。合掌。
火葬場でお骨の焼けるのを待つ間、義母がポツリポツリと話してくれました。
満鉄に転勤となった夫と長女を連れ満州に渡り、そこで次女を生み、終戦の1年後に年児の幼女をおんぶに抱っこし、水を入れたやかん一つを抱えて一人福岡港にたどり着いたと。
日本に上陸すると同時に義母は倒れ2カ月入院。その後は幼子二人を家に残しても働かなければならない状況で、4歳の長姉が一つ違いの次姉を子守していたそうです。
「姉妹ケンカしてもけっして長女を叱ってはダメよ。いつも妹の面倒をよくみているのだから!」と近所の人から注意されたそうです。
義母の話を傍で聞いていた次姉も、「あたしの物心ついた最初の記憶は、姉から何かを口に入れてもらっている場面だった」と回顧していました。
シベリアに抑留されていた義父が、身体を壊して帰国したのは3年後とのこと。その後も、夫を助けて働き、子育てした義母は、「働きながら子育てするのがどんなに大変か、私はよく知っているから」と、昔、共働きの私を励ましてくれていたことを思い出します。
この日、私は義姉に以前プレゼントされたポシェットを身につけ、最後のお別れをしました。
やすらかにお眠りください。合掌。
通夜に集まった義甥と家族 |
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