姜尚中の「母 オモニ」を読み終えました。
彼は最近、テレビでの露出度も増え、専門分野以外にも芸術分野のパーソナリティとして登場しています。
討論の場面でも、静かな物言いなのに、誰にも口を挟ませない、説得力のある話しぶりに感心することしきりです。
昔は生協大会や組合員集会などの講師として、度々依頼していた記憶があります。
今でも印象に残る、やや斜に構えたポーズの写真が案内によく使われていました。
「母オモニ」は、会話が熊本弁で書かれているため、耳慣れたことばとしてスンナリ入って来るのです。
何故かとい言うと、職場の親しい女友達は九州出身者が多く、また高校時代の親友は私を含め皆、九州男児と結婚しているという偶然からか、イントネーションが自然に聞こえるのです。
プロローグには、次のようにあります。
母。それは、いつの時代も子供たちの心を虜にせずにおかない。幼少の頃、子供以外の何者でもなかったすべての者にとって、母は絶対的な存在だったはずだ。たとえそれが、激しい愛憎をともなっていたとしても。
とりわけ、息子たちにとって、母は「女」ではなく、あくまでも母でなければならない。息子から「男」になり、「女」と交わり、父親になってからも、息子たちは、母が、「女」であったことを認めようとはしない。それほど、母という言葉は、息子たちの心を尋常ならざるものにしてしまうのだ。
そして母が単なる母にとどまらず、「オモニ」であるとすれば、息子たちは狂おしいほどの母への想いに心を焦がすに違いない。
全編を通して母・オモニに対する愛情に貫かれた記述です。
女の私としては理解しずらい部分でもあり、我が息子を考えるにも、すべての息子がこのようであるとは思えないのですが、男性諸氏 いかがなものでしょうか?
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